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「奇跡のリリーバー」の若過ぎる死

つい先日、川島なお美さんが癌で壮絶な最期を遂げましたが、今度は野球選手が45歳という若さで逝ってしまいました。

「大洋・横浜(現DeNA)、近鉄の救援投手として活躍した盛田幸妃(もりた・こうき)氏が16日午前に東京都内で死去した。45歳だった。葬儀・告別式は未定。近鉄移籍1年目の98年に脳腫瘍を発症。大手術を経てマウンドに戻り、01年のリーグ優勝に貢献してカムバック賞を受賞する「奇跡」の復活を遂げた。現役引退後、36歳の時に脳腫瘍が再発。今年に入ってからはがんが全身に転移して自宅療養を続けていたという。
 訃報は16日午後、盛田氏が野球解説者として活動していたHBC北海道放送の番組内やツイッター公式アカウントで伝えられた。
 盛田氏は87年ドラフト1位で大洋に入団。5年目の92年に飛躍し、中継ぎ投手ながら規定投球回に達して防御率2・05でタイトルを獲得した。武器は鋭いシュート。強気の内角攻めを身上とし、94、95年には佐々木主浩とのダブルストッパーとしてフル回転した。

 華々しい活躍もさることながら、ファンの記憶に刻まれたのが病魔からの復活だ。トレードで近鉄に移った98年、8月に脳腫瘍の一つ「髄膜腫」が見つかった。9月10日に受けた摘出手術は11時間40分に及んだ。腫瘍自体は良性だったが、手足の動きをつかさどる大脳の運動野(や)を圧迫していたことから、執刀した横浜南共済病院の桑名信匡脳神経外科部長(当時)は「プロ野球に復帰できる可能性は3割ぐらいだと思っていた」と、のちに語った。
 右半身が動かないところからリハビリに取り組み、99年最終戦の10月7日ロッテ戦(藤井寺)で421日ぶりに1軍マウンド復帰。涙をこらえながら打者2人に10球を投じた。復帰3年目の01年はリーグ優勝したチームで34試合に投げて2勝。オールスターにファン投票で選出され、カムバック賞を受賞した。

 重病を乗り越えた後、150キロの全盛期の剛球を取り戻すことはなかったが、マウンドでは投げる喜びと感謝にあふれていた。野球は「稼ぐための仕事」だったのが「同じような立場の人に勇気を与える」ことがモチベーションに変わった。
 02年限りで現役引退。解説者として活躍する一方で病との闘いからは解放されなかった。「奇跡のリリーバー」のタイトルを掲げる公式ブログには44歳の誕生日を迎えた13年11月21日、脳腫瘍が36歳で再発していたことを記した。「毎年が病気の心配と戦い…今も悪戦苦闘の毎日」。そのブログも右脚付け根の骨折を報告する内容の昨年4月26日を最後に更新されていなかった。

 ◆盛田 幸妃(もりた・こうき)1969年(昭44)11月21日、北海道生まれ。函館有斗(現函館大有斗)から87年ドラフト1位で大洋入団。主に中継ぎとして92年最優秀防御率。98年に近鉄にトレード移籍。同年8月に左頭頂部に髄膜腫が見つかり9月に除去手術。1年のリハビリを経て、99年最終戦で復帰登板を果たした。01年には34試合に登板、カムバック賞を受賞。02年の現役引退後は球団職員や野球解説者として活躍した。 」(スポニチ10月17日より)

昔、野球ファンだった父が「ここで点を取られたら強力なストッパーがいるから負けるぞ!」と言っていたのを思い出しました
日々練習に明け暮れている野球球児達の多くはプロ野球の世界での活躍を夢見ていますが、盛田氏はその夢を実現した一人です。でも、彼の半生は癌との壮絶な戦い…弟も5歳で脳腫瘍で亡くなっていますから、彼の癌は遺伝だったのかもしれません。
脳腫瘍からカムバックしたのに全身転移で苦しむとは。。。。
ご冥福をお祈り致します。

盛田さんを偲んで、落合さんを苦しめた絶頂期の動画を載せます…



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